いわゆるひみつ(?)日記(2001年6月)


6月17日
「心の病」に関するTV番組とか見てると、つくづく思う。2年前の自分が、如何に危険な状態だったか…。自分で「変だ」という自覚はあるものの、どうしたらいいのかわからない。 ストレスばかりを抱え込み、1年半もの間、微熱が断続的に続いていた。夜中に突然目が覚め、呼吸困難に陥ったこともあった。大学に足が向かず、登校拒否の状態が続いた。 わけもわからず、突然泣きたくなることも、どこか遠くへ行ってしまいたいと思うことも、しょっちゅうだった。何もかもに、疲れ果てていた。 大学を辞めてしまいたい、と、何度思っただろう。辞めてしまえば楽になれる、とわかっていた。でも…辞めてどうなる? その後は? 絶対に後悔しないと言い切れる?  …結局、そこにつきるんだ。今辞めたら、絶対に後で後悔する。それがわかりきっているから、辞めてしまうこともできなかった。 かと言って、誰に相談することもできず、自分の中にどんどん溜め込んでしまっていた。どうやったら立ち直れるんだろう。そうやって焦ると、またストレスが蓄積していく。悪循環。 何故、誰にも相談できなかったのか。…変な自意識がジャマしていたんだ。昔から、変にプライドが高くて、変に自意識過剰だったから、だから誰にも言えなかった。 壊れる前に何とかしなきゃ。とは思えど、何をどうすればいいのか、さっぱりわからなかった。今冷静になって考えると、本当に、スレスレの崖っ淵にいたと思う。
それを断ち切ってくれたのは、初めての海外旅行だった。異文化に触れ、「世界」を感じて、自分の中で何かが変わった。自分が何とちっぽけであることか。 歴史の…時の流れに比べれば、人の一生なんてほんの一瞬にすぎぬ。そこで初めて、「私…何やってるんだろうなぁ…」と思った。自分があまりに情けなかった。 やりたかったことも何一つやれないままここまできてしまって、このままでいいのか? …いいわけがない。このまま終わってしまってはいけない。大学を辞めたい? 本当に辞めたい?  もう二度と、生物なんてやりたくない? 二度と勉強なんてしたくない? …違う。本当は、勉強することが好きなんだ。生物学が好きなんだ。新たな知識を得ることが、好きなんだ。 ただちょっと、いろんなことがありすぎてパニックしてただけ。ちょっと疲れてただけ。勉強が嫌になったわけじゃない。…いろんなことを知りたい、と思う。 いろんなことをやりたい、いろんなことができたらいい、と思う。もっとちゃんと勉強しておきたい。それと、もうひとつ。今まで何もかもが中途半端なままで、 ここで大学まで辞めてしまったら、私はきっとこの先何をやっても中途半端で終わってしまう。…そんな気がした。そう思った時に、やっと立ち直れた。
結局、ここで完璧に立ち直れたわけではなかったけれど、それでもどうにか歩き方を思い出すことができた。今思うと、よく自力で立ち直れたと思う。 もっと早く、精神科にでも行って、誰かに相談するべきだったのかもしれない。そうすれば、ここまで落ち込まずにすんだのかな。もっと早く、立ち直れていたのかな。 でも、この経験は、きっと糧になると思う。いつかまた、何かに落ち込んだ時に、支えになってくれるだろうと思う。
2001年06月17日 22時54分15秒

6月13日
高校の定演に行った時に、ふと思ったこと。いや…同年代の、塾の生徒達のこともちょっと考えて思ったんだけど。
「学力偏差値が高い」というのは、実はそれだけでものすごいことだったんだな、と。それだけでひとつの個性であり、長所であり、才能だったんだな、と。 塾の生徒達を見てると、「頭がいい」と言われる子でも、65を超えるのは並大抵のことではない。今のご時世、ちょっと偏差値が悪者にされすぎてないかな、とちょっと思った。 偏差値に頼り過ぎるのはそりゃあよくない。けど、偏差値の垣根を取り払おうとする今だからこそ、偏差値が高いことを個性として認めてもいいのではないか。 何故高校が学力別に並べられるかって、義務教育じゃないんだから。自分の学力に合った教育を受けるのも、権利なんじゃないかな?  「偏差値が高い(勉強ができる)=頭が良い」という図式は勿論成立しない。けど、こと学校の勉強に関して、要領がいいのは確かだ。 理解が早く、自分の知識を駆使して応用する力もあるということだ。そのこと自体は、もっと素直に評価してもよいのではないか?

今年の1〜2月、大学のとある先生に言われた。出身高校の名前を重荷にするな、自信を持て、と。どれだけ望んでも、それだけの成績が得られない人もいる。 誰でも行けるわけじゃないんだから、そこに行けたことを誇りにしろ、と。確かに…私は全く自信を失ってた。中学では勉強ができることでみんなから頼られたりもした。 けど、高校に行ったら、周りみんなが同じレベルなわけだ。それで、「偏差値なんて、何の意味もない」ということを肌で実感した。
大学受験も大学生活も、決して自分の思い通りにはならなかった。それでも高校の名前を言えば「すごいね」だの「何でこんなとこにいるの?」だのと返ってくる。 私はそんなにすごくない。全然勉強してなかったし…。そんな風に思ううちにいつしか昔のふてぶてしいまでの自信は消え失せ、高校の名前がコンプレックスになっていた。 そして結局、「自分は何もできない、何の才能もない」と思い込むまでになっていったんだ。
でも…塾の生徒達の成績を見てると、自分がいかにすごい成績を取っていたか、改めて思い知らされる。それを思うと、何もしなかった高校時代が実に勿体無い。 授業内容をきちんと自分のものとして吸収しなかったことが、すごく悔しい。私は自分で、自分の「才能」の芽をツブしてたんじゃないだろうか。 自分は「何もできない」んじゃない。「何もしなかった」んだ。

ほぼ全員が四大進学を希望する進学校でありながら、あの高校での授業は、ただ受験に必要なものだけじゃない。大学に入ってから、果ては社会に出てから、最低限必要な知識・教養としての授業だったんだ。 そのことを、予備校や大学で実感した。それだけ高度なことをやっていたんだ。だから、受験勉強なんてものは個人で勝手にやればいいことであり、それ故に、受験指導もなかったんだな。
あの高校に行ってよかった、と思う。だからこそ、高校から今までに、大袈裟な言い方をすれば、栄光と挫折と、両方を味わうことができた。 ただ、やっぱり…もっと授業の時間を大切にしておけばよかったな…。あれだけの学力があったのに…一体、何やってたんだろう…。

高校の名前を、ことさらに自慢する必要は全くない。けど、せめて誇りにしよう。「やればできるはず」という自信にしよう。 時折、昔の成績表を見ることがある。「昔はこれだけできたのに…」と過去の栄光に縋って卑屈になるのではなく、それで自惚れるのではなく、「昔はこれだけできたんだから、今だって!」という自信にしよう。
2001年06月13日 23時33分51秒

6月8日
どうやら、ウチもとうとうNHKの受信料を払うことになったらしい。…そう、ここだけの話、ウチは今まで受信料を払っていなかったのだ。いや、別に払ってなかったからってどうなるものでもないが。 以前は、アンテナを天井の下に隠し、受信料の徴集が来ても「テレビはない」と言い張っていた。けど、ちょっと改築した時にアンテナを屋根の上に出し、「今度来たら払おう」と言って約15年…。 15年の時を経て、ついに来た(笑) おねーさんが、「今度から払ってもらえませんか?」と言ってきたらしい…。やるな、お主(笑) …ま、いいんじゃないかな。 最近何かと世話になってるからな、NHKは。語学講座で(笑) …ついでだから、衛星のアンテナ欲しいよ…。
2001年06月08日 22時14分09秒

6月7日
ジオのサーバーが狂った。私はいつもネスケで「ファイルマネージャ」にアクセスして、それからそこに付属のアップロードツールでファイルをアップしている。 けど、今日…と言うか、6日からだわね、何度やってもアクセスできない。いや…アクセスできないって言うより、ファイルマネージャの中身がちゃんと表示されない。 どうやら、IEでは平気らしいが…ネスケではダメらしい。しかも困ったことに、ウチのIEではファイルマネージャ付属のアップロードツールは使えない。 つーか、マックのIEではたとえ対応してても、コイツを使うとファイルがおかしくなるらしい。どうしろと言うんだ?  しょうがないから、とりあえずエディタで直接ファイルを書き換えた。けど…困るんだよね。ウチのIEは使い勝手が悪いから。 しかも、直接書き換えるとフォントタグがちゃんと正常動作しない時があるから。どうにかしてくれよ。とここでグチる。 こんなことでムカついてキレたって、バカバカしいだけじゃんよ。早く直してくれ。
2001年06月07日 00時55分55秒

6月2日
時折、ふと思うこと。
「もし自分がいなかったら、自分の周りはどう変わっていただろう」
いや、別に、死にたいなんて思ったことはないです。ただ…死にかけたことはありまして(笑) 赤子の頃のヘルニアやら、8歳の時の肺炎やら、9歳の時の紫斑病やら。
今まで出会ってきた人たちは、もし私と出会わなかったらどういう生活を送っていただろう…なんて、ふと考える時があるのです。自分が、その人たちに対してどれだけの影響力を持っているんだろう…なんてね。 あの大学に行かなければ出会わなかった人は、たくさんいる。予備校や高校に関してもそう。もし、別のトコに行ってたら…私自身、どういう出会いがあって、どういう道を歩いていただろう、なんて。 そんな「もし」は成り立たないんだけどね。だから、考えるだけ考えて、結論は出ないまま終わる(笑)
2001年06月02日 22時04分10秒


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