幼き騎士の誓い

 その日、カマロ自由騎士連合の陣営には、10歳の誕生日を迎えて間もない少年が初陣を迎えていた。後に、若くしてマチルダ騎士団赤騎士団長となるカミューの、幼き日の姿である。
 少年カミューの胸は、初陣への期待に満ちていた。もちろん、初めての戦への緊張もある。だが、それ以上に、立派に手柄を立てて早く一人前になるのだ、という意気込みの方が勝っていた。
 わずか10歳で初陣に出る者は、ほとんどいない。カミューの場合、腕力では当然劣るものの幼くして既に大人顔負けの剣の腕前を持っていることに加え、次男であり家督が継げないため、早く一人前になりたい、という本人の強い希望もあったのだ。
「ずいぶんと気合いが入ってるじゃないか」
 そう言って頭を撫でる声にも、少年は誇らしげに頷いている。
「だがな、これだけは忘れちゃいかん。戦ってのは、命と命のぶつかり合いだ。勝つか負けるかは、則ち、生きるか死ぬかなんだ」
「大丈夫。わかってるよ」
 しかし、この時まだ少年は、戦というものをまるで甘く考えていた。命を賭けるというのがどういうことか、何もわかっていなかった。そのことを、後で嫌というほど思い知らされることになる。

 戦が始まると、少年は、目の前で繰り広げられる光景に圧倒された。鎧を身につけていたところで、当たりどころによっては剣の一振りで一瞬のうちに命が失われる。 そして、当たり前のことだが、敵も同じく人間なのだ。殺されまいと、自分たちを一人でも多く殺そうと、必死になってくる。相手は、訓練で使ったような、藁で作った人形ではないのだ。
 少年は、茫然と、目の前の剣戟を眺めてしまっていた。自分が夢想していたような、かっこいいものではない。殺さなければ自分が死ぬ。生きるか死ぬかの、泥臭い真剣勝負なのだ。
 はた、と気付いた時には遅かった。視界をよぎった影に我に返り振り返ってみれば、敵がすぐそこに立っていた。
「子供じゃないか。お前みたいな子供まで駆り出さなきゃならんとは、自由騎士連合とやらもたかが知れているな」
 剣を構えて戦わなくては…。そう思っても、気持ちが空回りするばかりで、動くことができない。
 まるで、夢でも見ているようだった。
「これが戦ってもんだ。悪く思うなよ!」
 そう言って男は残忍とも思える笑みを浮かべ、剣を振りかぶった。
 少年カミューは、それをただただぼうっと眺めていた。これは、本当に今現実に起きていることなのか…。だとしたら、あの剣が振り下ろされた時、自分は死ぬ…。 今ここで、こんなところで自分は死ぬのだろうか…。そんなことを、他人事のように考えていた。
「!」
 剣が振り下ろされる瞬間、少年は思わずぎゅっと目をつぶった。と同時に肉を断つ音と生暖かい感触を感じたが、当然予想された自分を襲うはずの衝撃と苦痛は来なかった。
 彼が恐る恐る目を開けてみると、仲間が一人、自分と敵との間に割り込んでいた。
「おい…何をぼうっとしている……ここは戦場だぞ……」
 戦が始まる前、少年に声をかけてくれた人物だった。穏やかに諭すような口調ではあるが、その身に致命傷を受けているのは明白である。音は彼の肉体が斬り裂かれた音で、生暖かいものは、彼の体から迸る血の感触だったのだ。
「!!!」
「どうやら、無事だな…。おい、お前はまだ子供なんだ。こんなところで死ぬんじゃないぞ……」
 それだけ言うと、瞳から光が失せ、彼は倒れ伏した。どうやら、身を挺して自分を庇ってくれたらしいことは理解できた。しかし…何故?? 少年は、混乱に陥っていた。
 何故…何故? どうしてオレを庇ってくれたんだ? 本当に、彼は死んでしまったのか? もう二度と、話をすることもできないのか? さっきまで動いていたのに? 少し前まで、親しく話をしていた人なのに??
「ちっ…ムダなことを…。せっかく庇ったところで、お前が動けないんじゃあな。わざわざ無駄死にするとは、馬鹿な奴だ!」
 オレが…動けなかったから? オレの…せいで??
「う…うわああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
 その瞬間、少年の中で何かが切れた。力任せに、目の前の敵に向かって剣を振るった。敵は、少年の急な変化に一瞬反応が遅れ、その剣を避けることができなかった。
 一刀両断にされた肉の塊が、驚愕の表情を浮かべたまま動かなくなるのを、少年はどこか遠い世界のできごとのように見つめていた。
 後はもう、ただがむしゃらに、手当たり次第に剣を振り回していた。

「おい、大丈夫か? 終わったぞ」
 その声に、少年ははた、と我に返った。辺りを見回すと、至るところに、つい先程までは人間だったものが転がっている。自分に注意を向ければ、体中は返り血を浴びて血塗れで、剣にも何やらよくわからないモノが無数にこびりついている。
「…ずいぶんと活躍したみたいじゃないか」
 称賛とも嘲りともつかない、むしろ驚き呆れたような口調での言葉に、だんだん状況が飲み込めてきた。剣にこびりついているモノは…人の、肉?  オレは一体、どうやって戦っていたんだ? 一体、何人の敵を斬ったんだ? この、たった一本の剣で…一体、どれだけの人を…どれだけの命を、奪ったのだろう?
「ひ…あ……うあああああ!!!!」
 少年は、剣を取り落とし、両手で頭を抱えて地面に蹲った。
「おい、どうした」
 自分を気遣う声も、耳に入らない。自分のしたことが、ほんの子供にすぎない自分が手に入れてしまった巨大な力が、ただただ怖かった。どうしたらその恐怖から逃れられるのかもわからず、少年はただひたすら、喚き続けていた。

 目を覚ますと、そこは見覚えのある部屋だった。戦の前に泊まった宿舎のようだ。
 一瞬、あれは夢だったのだろうか、という考えが少年の頭をよぎった。しかし、手入れもそこそこに側に立て掛けられた剣と、何より手に残る感触が、あの戦が現実であったことを物語っている。
 少年は、ベッドの上に半身を起こし、自分の両手を見つめた。戦の間のことは、ほとんど覚えていない。しかし…何故、こうも肉を斬り裂く感触だけは鮮明に手に残っているのだろう…。
「っ……!!」
 毛布を握り締め、俯いた瞳から、大粒の涙がいくつも零れ落ちた。
「やっと起きたか」
 何時の間にか部屋に入ってきていたらしい、耳に馴染んだその声にも、少年は顔を上げることができなかった。
「ずいぶんと活躍したそうじゃないか。何人斬ってきた?」
 背筋が寒くなるような、冷やかな声。そこに、いつもは厳しい中にも確かに存在した肉親の情は微塵も感じられない。
「もっとも、お前がどれほど活躍したところで、あの人はもう戻って来ないがな。わかっただろう? 戦というのは、お前が考えていたような甘いものじゃないんだ! 少しは目が覚めたか!!」
 容赦のない言葉に、嫌でもあの時の光景が思い出される。耳を塞いで叫びたい衝動を堪え、少年は声を絞り出した。
「兄上…」
「何だ」
「…お願いです…一人にしてください……」
 震え掠れる声でそれだけを言うのがやっとだった。

 恐ろしい形相の敵。血塗れで自分に向かって呪詛の言葉を叩き付けるかつての仲間。その恐怖から逃れようと必死に走っているのに、ちっとも前に進まない焦り。
『お前のせいだ!』
『よくも俺を殺してくれたな!』
(やめてくれ! 誰か、助けて!!)
 ふと気付くと、己の剣には人の血と肉がこびりつき、足元には、内臓のはみ出た首のない死体。
『この、人殺し!!』
 その声に顔を上げれば、目の前には宙に浮かぶ生首…。
「うわああああ!!!」
 跳ね起きてみれば、そこは見慣れた部屋。まどろんでは、恐ろしい悪夢に叩き起こされる。少年は、そんなことを何度も繰り返していた。
 サイドテーブルに置かれた盆の中身が時折入れ替わっているところを見ると、誰かが毎回食事を運んできてくれているらしいが、口をつける気にもなれない。
 既に、時間の感覚も失われていた。

「また食べてないみたいだぞ」
「まったく…何をやっているんだ、あいつは…」
 手付かずのままの食器を下げてきた同僚の言葉に、思わずそんな愚痴が零れた。
「やっぱり…10歳で初陣ってのは、無理があったんじゃないか?」
「知るか。あいつが言い出したことだ。自分の言動に自分で責任を取れないようじゃ…」
「けど…目の前で、親しかった人間が自分を庇って命を落としたんだ。そのショックも大きいと思うけどな」
「だから。それを自分一人の力で乗り越えられなければダメだと言ってるんだ。そういったことを、受け入れ、背負っていける力を自分で身につけないと…あいつの言う『一人前の騎士』になどなれるもんか…」
 とは言え、三日間も食事に手をつけようとすらせず寝込んだままの弟がさすがに気にかかり様子を見に行くと、少年は相変わらずベッドで丸くなっていた。
「…お前はまだそんなことをやっているのか。あの人がどう思うだろうな。自分が命を賭けて庇ったのが、そんな腑抜けたガキだったとはな」
 わざと突き放すような口調で言うと、一瞬、少年の体がぴくりと強ばるのが見えた。しかし、起き上がる気配はない。
「そんな腑抜けはいらん。それでも『一人前の騎士』とやらになりたいのなら、今日中に立ち直れ。…どうするかは、お前が自分で決めろ」
 努めて冷たく言い放ち、少年の兄は部屋を出て行った。

 兄の言葉を聞きながら、彼は戦場でのことを思い出していた。敵を前に、指の一本も動かせなかった自分。そんな自分を庇ってくれた仲間。自分が死なせてしまった、という後悔と、自分が殺した敵に対する罪悪感。
 悪夢も、何度も見た。あれから何日経ったのかはわからないが、まともに眠った気はしない。眠るたびに、悪夢に苛まれるのだ。
 だが…これで良いのだろうか? 自分は、このままで良いのだろうか? 彼は、何故自分を庇ってくれたのか。彼は、どういう気持ちで、自分の命を投げ出してまで自分を救ってくれたのか。兄の言う通り、今の自分を見たら、彼は一体どう思うだろう?
 自分がいかに戦というものを甘く見ていたか、少年は思い知らされた。戦場で、命を賭けて敵と戦うということは、そんな生易しいことではない。 自分が斬った敵の人生、命を落とした仲間の思い。生き残った者は、そういったものを、全て背負っていかなくてはならないのだ。
 自分を庇ったために命を落とした仲間の思いは、他の誰でもない、自分が背負わなければならない。自分の弱さが、彼の死を招いたのだから。彼のお陰で拾えた命を、無駄にするわけにはいかない。そのためには…。
(オレが…強くならなきゃいけない…。もっと強い心を持たなきゃ…。もっと強くなりたい! もうオレのせいで誰も死なせたくない!)
 少年は、ベッドから飛び降り、兄のいるであろう食堂へと飛び込んだ。

「兄上……」
 兄は、食堂のいつもの席で、考え事をしているようだった。恐る恐る声をかけると、彼は少年の方に向き直った。
「決めたか」
 心を射抜くような鋭い視線に少年は一瞬怯んだが、すぐにそんなことではだめだと自分に言い聞かせ、涙ながらにではあったが兄の目を見てはっきりと自分の決意を告げていた。
「オレは…オレはっ…! 強くなりたい…っっ!! もう誰も死なせたくない…っ! みんなのあんな顔…もう見たくない……!!」
「…そうか」
 泣きじゃくる少年の頭を、温かい手が優しく撫でていた。


 その数年後、少年は自由騎士連合の推薦状を携えて一人故郷を離れ、マチルダ騎士団への入団を果たした。文化も風習も違う異国の地にあっても、故郷での経験を生かし、彼はめきめきと頭角を現していくことになる。
 入団試験で出会った実直な少年と親友となり、共に若くして団長にまで上り詰めながらその地位を捨てデュナン統一戦争の戦列に名を連ねるのは、それから更に数年後のことである。

まあ、これもチャットネタと言えばチャットネタなんですが…。なりきりチャットの最中、坊ちゃんに 「どうしようもなく怖いものがあって、その恐怖に心が飲み込まれそうで、それでも戦わなくてはならない時、どう立ち直ったらいいか?」という問いを受けまして。 その対応を考えていたら、こんな話がものの10分ちょいででっち上がりました(笑) いや…ちゃんとした話にするのにはちょっと時間かかったけど。
初陣のカミューさん。初めて目の前で人が死ぬ時のことって、初めて人を斬り、命を奪った時の感触って、いつまでも残るんじゃないかなぁ…。ってね。
しかし兄上…年いくつなんだ?? 5歳上ぐらいでイメージしてたんだけど…こんな15歳もソレはソレでちょっと嫌かも(笑) てか、オフィシャル設定と食い違う率(=マイ設定全開率)95%ってカンジで、何だかもう…。
…しかしそれにしても、まだまだ浅いなあ、自分も……。

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