アンソニーに無理矢理、花見の下見に同席することを了解させたナッシュは、俄に懐を探り始めた。 「……お前は…他の騎士共よりは可愛げがあるな…」 言うまでもなく、「騎士共」とは彼に張り付いている諜報員たちのことを指しているのだろう。花見に同席するように言う「闇」のナッシュの迫力に思わず素直に首を縦に振ってしまったアンソニーではあったが、決してそんなもの快く了承したわけではない。 「はぁ!? か、可愛げ!? そんなのあっても嬉しくない!!」 そう言っている間にも、ナッシュは懐から取り出した敷物を桜の木の根元に敷いてしまっていた。 「…って…敷物なんか出して……まさか、そこに一緒に座れ、と…?」 それでもまだ何とかこの場から逃げられないかと思っていたアンソニーの微かな希望は、次のナッシュの一言で完全に粉砕された。 「当然だ。花見だぞ…? ここに一緒に座って、一緒に酒を飲むものだろうが…。……嫌だと言うのか?」 最後の一言で数段声のトーンを下げてそう言いながら敷物を指差すナッシュの懐からは、今度は酒の瓶が出てきた。常に彼に張り付いているアンソニー達にも、一体ナッシュの懐には何がどれぐらい入っているのか、全く想像がつかない。 「あ、いや……。って……酒まで持ってたのか、あんた……」 ここで「嫌だ」とでも言おうものなら、また何をされるかわかったものではない。とうとうアンソニーは、覚悟を決めた。 「…ご、ご一緒させてイタダキマス……」 「そうそう…そうやって素直にしていれば、怖い目には遭わせないさ…」 「あ……ああ………」 ニヤリと笑った「闇」のナッシュの顔を見て、アンソニーは心の中だけで(やっぱり怖いよ、この人………)と呟いた。何しろ、既に十分、怖い目に遭わされている。だが、そんなことをいちいち口に出すほど愚かではない。 「じゃあ…飲むか…」 そしてナッシュは、自らが敷いた敷物の上にドカッと腰を下ろした。アンソニーも仕方なく、敷物の隅っこの方にちんまりと腰を下ろす。あまり近寄りたくないせいか、ナッシュに背を向け、子供のように膝を抱えて座り込んでいる。 「他に何か…つまみになるようなものは……」 尚も懐を探るナッシュが次に取り出したのは、正体不明の飲み物の瓶だった。 「これは………」 桜を思わせる淡いピンク色のその瓶には、むしろ毒々しいまでの色遣いの派手なラベルが貼られており、恐らくその飲み物の名前なのであろう意味不明の単語が大袈裟なくらい凝った字体で書かれていた。 「炭酸飲料か…。まあ、飲めなくはないだろう…」 「それって…怪しくないか? 大丈夫なのか??」 敷物の端でアンソニーは自分の肩越しにその様子を見ていたが、彼自身今までに見たことのないその瓶のあまりの怪しさに、思わず口を挟んだ。 ナッシュも、改めてしげしげと瓶を眺め回す。 「…………確かに…こんなモノ見たことが無い」 敷物の端から瓶を見ていたアンソニーがふと視線を上げた時、意味ありげな色を浮かべる「闇」のナッシュの視線と目が遭った。途端に嫌な予感がする。こういう時の嫌な予感ほど、よく当たるものもない。 「…そうだな…まずお前が毒見をしろ」 そう言うと、ナッシュは見るからに毒々しいラベルの瓶をアンソニーに向けて差し出した。 「や……やっぱりそう来るのか………。いや…でも……俺なんかよりあんたの方がよっぽど胃袋丈夫だと……」 思うのだが…と言い切る前に、ナッシュはアンソニーの言葉を丸っきり無視し、一方的に話を進めていた。 「そうかそうか…お前…未知の製品の味見がシュミだったのか…。よし、遠慮なくいけ」 「え…だ、誰もそんなことは言ってな…って……人の話を聞けーー!!」 またしてもアンソニーの言葉になど全く耳を貸さず、「闇」のナッシュはさも気を利かせてやっているとでも言うように、炭酸飲料の瓶をアンソニーの手に押し付けた。 困ったのは、アンソニーの方である。 「ど……どうすんだ、コレ………」 途方に暮れて瓶をよく見てみると、先程まで瓶の色だと思っていたピンク色は、信じがたいことに、中身の飲み物自体の色だった。ピンク色の瓶に無色の飲み物が入っているのではなく、無色の瓶にピンク色の液体が満たされていたのである。瓶の色だと思えば綺麗なものだったが、飲み物としてはあまりに不自然な色に、更に毒々しさが増した気がする。 その毒々しい瓶を手にしたまま固まっているアンソニーの様子を見て、「闇」のナッシュはふう、と溜息をついた。 「流石の毒見マスターも、今回は怖気づいたか…? なら、先に勢いをつけてからいくのはどうだ?」 「誰が毒見マス……うぐっ!」 言うが早いか、ナッシュはいつの間にか栓を開けていたワインの瓶の口を、アンソニーの口に押し付けた。独特の芳醇な香りの液体が、味わう間もなくどんどんとアンソニーの咽喉の奥に流れ込む。 「…酔いで勢い付けば、未知の製品も楽しく味見できるぞ…?」 そう言いながら、ぐいぐいと尚も押し込むかのようにナッシュはワインを飲ませ続ける。 「うぐうぐうぐ………ぶほっ! な、何するんだ!」 ようやく瓶を押しのけた時には、既に中身の半分近くがアンソニーの咽喉を通り抜けてしまっていた。一度に大量に流れ込んできた決して弱いわけでもないアルコール分に、少々頭がくらくらする。 「……どうだ?気合が入ったろう?」 瓶を退いた「闇」のナッシュは、相変わらず面白そうな顔をしてアンソニーの様子を見やっている。 「………いいよ、わかったよ……毒見すりゃあいいんだろ、毒見すりゃあ………」 そう言うと、アンソニーはとうとう謎だらけの炭酸飲料の瓶を開け、匂いを嗅いだ。毒々しい色の液体に違わず、不自然な甘酸っぱい香りが鼻をつく。 「……う………」 恐る恐る一口、口に含んでみると、匂い通りの不自然な甘さが広がった。甘いと言うより甘ったるい。ベースになっているものは何か柑橘系のものだろうか、味自体はそれほど悪くはないが、とにかく甘ったるい。多少の眩暈を覚えつつ、何とか飲み下した。 「……な……あ、甘………。まずくはない…が……甘ったるい……」 「………………」 眉間に皺を寄せて呟くアンソニーを、ナッシュは無言のまま見つめていた。実のところ、自分にも、いつこんなものを手に入れたのか、記憶にないのだ。 「…しかし……ナッシュ殿は一体どこでこんなものを……。あんた、中から全部見てるんだろう?」 「……ああ、だが…俺が知らない。ということは……俺が創られる前に買ったのだろうよ」 彼、「闇」のナッシュは、自分の本体の行動を内側から全て見ている。本体が何をしたかを、全て把握しているはずなのだ。その彼に心当たりがないということは、即ち彼が生み出される前のこと。珍しさのあまり買ったはいいが、それっきりすっかり忘れ去っていたという可能性も十分に考えられる。 アンソニーがナッシュに張り付き始めた頃は既に、彼は己の内に「闇」を生み出していた。ということは、それの意味するところは取りも直さず、ナッシュがその飲み物を買ったのは自分が張り付くよりも更に前であるということである。 そして、アンソニーがナッシュの行動を逐一見張るようになってから、既に数ヶ月が経過しているのだ。俄かにアンソニーは青ざめた。重大な問題に気付いたのである。 「っておい! 賞味期限は大丈夫なのか!? 俺飲んじまったぞ!? …明日になって腹がおかしくなったら、どうしよう……」 いくら密閉された瓶とは言え、このような得体の知れない飲み物、数ヶ月も経っていたら中身が傷んでいる可能性もある。アンソニーの懸念を聞いたナッシュは、無言のまま懐から薬の包みを取り出した。 「あ…胃薬…? 腹を下したらコレを飲めと…?」 「そういうことだ…。後でナッシュの事は俺がよく叱っておく…」 青ざめつつも、いきなり何の準備もなく飲まされた酒が徐々に回ってきたらしく、アンソニーの顔が火照り始めていた。そのため、彼はどことなくトンチンカンな返答をしてしまっていた。 「あ……ああ……。あんた…意外にいいところあるんだな……」 思いの外、酒の回りが早いらしい。そんなアンソニーに対してしれっと「まあな」と答え、ナッシュはコップを取り出し、だいぶ中身の減ってしまった瓶からワインを注いでアンソニーに手渡した。 「……折角の花見だ。もう少し飲むといい」 「あ、ああ…。で、このワインは、どこの……?」 素直にコップを受け取り、色や香りを確かめつつ、先程はいきなりガブガブと飲まされたため気にするヒマもなかった疑問をアンソニーは口にした。アンソニー自身、さほど酒に詳しいわけでもないが、一応、産地は聞いておきたいものである。いつか飲んでみたいと思っていた酒を、それと知らずに飲んでしまっていたのでは勿体無い。 「警備隊の同僚にカナカン出身の奴が居て…確かそいつにもらった物だから…その辺のだろう。だから、味は良い筈だぞ?」 「カナカン…? そりゃあ…! 一度に飲んでは勿体無いな…。味わって飲まないと……」 カナカンと言えば、誰でもが知る酒の名産地である。しかし、マチルダからは遠く離れた南方の地であるために、今までなかなか口にする機会はなかった。 アンソニーは、宣言通り少しずつじっくりワインを味わった。口に含んで少し転がしてみると、噂に違わぬ香りと味が広がってゆく。先程の正体不明の飲み物などとは比べるのも失礼なくらい天と地ほども差のある、上品である種の気品さえ感じられる風味だ。 そうやってちびちびと酒を味わうアンソニーを見て、ナッシュは微かに微笑みつつ呟いた。 「………………可愛い奴だな…。昨日の赤騎士とは違う意味で」 その言葉を聞いた瞬間、アンソニーは危うくせっかくの酒を噴き出してしまうところだった。何とか飲み下し少し噎せ返りながら、酔いのためだけではない真っ赤な顔で言い返す。 「か、可愛いだと……!? アンタにそんなこと言われたくはないぞ……!!」 男にしておくのが勿体無いくらいの容貌を持つ人間に、「可愛い」などと言われたくはない。それに対して「闇」のナッシュは、あからさまに真面目な表情を作った。 「『可愛さ』っていうのは、顔だけじゃない。仕草とかと相俟って生まれるものだろう? 俺としたことが……」 瞬間的に、アンソニーの背筋を悪寒が駆け抜ける。諜報員として張り付いて以来、「闇」のナッシュが男を犯す現場を何度か見てしまっているだけに、気味が悪い。「俺としたことが」何だと言うのか。 「な……何なんだ………。気味が悪いな………」 まさかこの男、自分のこともそういう対象としての目で見ているのだろうか…。そんな不安に駆られるアンソニーだが、ナッシュの顔からその真意を読み取ることはできない。 どういうことだ、と真意を問い質すのもある意味怖いので、それきり無言のまま、アンソニーはちびちびとワインを飲み続けていた。 |
不幸だ…アンソニー……(笑) 本当はこの時、別のキャラがいたのですが……ちょいと上手いこと絡められそうになかったんで、省略(苦笑) でもエピソードを削りたくはなかったので、展開を変えるのにちょいと頭を捻りました…。いや、黒ナッシュの口調がさ…。 ちなみにここで出てきた謎の飲み物、外国製の甘ったる〜い香料・着色料バリバリのすっごく健康に悪そうなモノをイメージしてくださるといいかと(笑) |